フランス料理の歴史④仙台でバレンタインディナー、サプライズをするならラフルールドスリジエがおすすめ。フレンチシェフのグルメブログ。

2020/02/03 ブログ

仙台駅から片平方面(西南方向)に向かって徒歩17分。

 

仙台市地下鉄東西線「青葉通り一番町駅」から仙台高等裁判所方面(南西方向)に向かって徒歩6分。

 

 

五橋通り沿い、裏一番町。

光原社さんの向かい側にある、フランス国旗が掲げてあるお店。

 

フランス家庭料理とワイン

【ラ・フルール・ド・スリジエ 】

オーナーシェフの佐藤ふみひと です。

 

 

 

本日も店主のブログにお付き合い頂きありがとうございます。

 

今回もあなたの幸せな毎日のお役に立てれば幸いです。

 

本日もフランス料理の歴史について、追って行きたいと思います(^-^)

 

今日はフランス料理の歴史パート4ですー

 

 

前回のブログでは、豪華絢爛な宮廷料理で発展したフランス料理。

そこからフランス革命により、宮廷料理人が町場に流れ込んで、レストランの時代が到来。

その後、ナポレオン皇帝の登場により再び豪華な宮廷料理が復活する。

その時代に活躍した料理人の1人にアントナン・カレームと言う料理長が居ました。

彼の功績の一つに現代フランス料理の原型が出来上がった。

 

というお話しをさせていただきました^ - ^

 

そして本日はその続きでございます。

 

 

アントナン・カレームの著書によると、1800年代に入ってからのフランス料理には、現代にも応用されている、とても沢山のソース類が登場しました。

 

またポタージュスープの種類も豊富になり、お魚料理とお肉料理もハッキリと区別されるようになりました。

 

さらに、一緒にお皿に盛り付ける「付け合わせ」もお肉料理、お魚料理、それぞれに合わせた物を添えるようにする動きも整理されて、素材の持ち味を活かすように成っていきます。

 

またアントナン・カレームは、食卓にずらりと並ぶ様々な料理が、宴会を華麗で壮大なものにしている、という風に確信します。

 

そして彼が取り仕切る宴会のほとんどに、食卓も含めて食堂内全体を華やかに装飾する事に重きをおきました。

 

例えば宴席の入り口や窓際、更にはテーブルの上にも、置くだけで雰囲気を盛り上げる様な大きなピエスモンテを置きました。

(*ピエスモンテとは

工芸菓子と呼ばれる、装飾する為に作られた大型の展示用のお菓子やパン類の事を言います。)

 

更にお料理の方も、ピエスモンテに負けまいとより大きく、より高く、より華やかになるようにと装飾性を強くしていきます。

 

こうした装飾性の高い派手な宴会のスタイルは、アントナン・カレームの愛弟子たちに受け継がれていきます。

そしてこの流れはどんどんエスカレートしていきます。

 

 

〈1800年代中頃のフランス料理〉

 

この頃になると、テーブル上に所狭しと料理を並べていくスタイル

→→フランス式サービス

 

から、料理を一品ずつ順番に提供していくスタイル

→→ロシア式サービス

 

へと転換していくのもこの頃になります。

 

そしてこの、ロシア式サービスを普及させようとした料理人に、ユルバン・デュボワという料理人が居ました。

彼はロシアの貴族に約20年ほど仕えた料理人でした。

 

そして彼は、フランス式サービスよりもロシア式サービスの方が良いという理由に、温かい料理は温かいうちに、冷たい料理は冷たいうちに食べる事が出来る。

という利点がある事を提唱します。

 

やがてこの考え方の方が理に叶っているという事で、フランス料理の世界にもロシア式サービスが取り入れられるように成ったのです。

 

そしてガストロノミー(美食学)と呼ばれる『美味しく、楽しく食べる』という事を詩として文章に表し、学問として発展させる考え方も登場したのです。

 

 

〈1800年代終わり頃から1900年代前半のフランス料理〉

 

この頃の時代になると、世界的に鉄道網が整備され始めて、また自動車の実用化に伴い、人々の移動が容易になりました。

おかげで、ヨーロッパ中の社交界の人々が観光として旅行を多くする様になります。

それに伴って彼らを受け入れるための豪華なホテルが各地に作られていきます。

 

1800年代後半のホテル隆盛期に活躍をし、近代フランス料理の礎(いしずえ)を確立した料理人が【オーギュスト・エスコフィエ」という人物です。

 

エスコフィエは、ホテル王と言われた「セザール・リッツ」と組んで、ロンドンのサヴォイホテルやリッツ・カールトンホテルを中心に仕事をしていきます。

 

そのエスコフィエがフランス料理の世界に残した数ある功績の中で、最も後に影響を与えたのが「調理場組織の革新」でした。

 

それまでは例えば魚料理であれば、魚の下処理から調理、それに添える付け合わせからソースまで、全てが魚部門のやるべき仕事として作られていました。

 

エスコフィエはこれを仕事の性質事によって分ける様にしました。

 

例えば粉を使った生地を全て担当するpâtissierパティシエ。

お肉やお魚、野菜に至る全体の下準備を担当するgarde-mangerガルドマンジェ。

野菜料理やスープなどの温かい料理とデザートを担当する、entremetierアントルメティエ。

お肉をローストしたり、ソテーしたりするrotissuerロティスール。

ソース作り全般を担当するsaucierソーシエ。

 

という5つの部門に調理場を分けた組織編成にし、注文が入るとそれぞれの部門が機能的に動くように形を作りました。

 

*現代の大規模なフレンチレストランやホテルにおいても、担当する料理の内容は代わっていますが、各部門が効率よく動けるような組織編成に変わりは有りません。

 

また伝統的な料理方法の見直しを行い、それまでの装飾的な要素の強い料理をやめて、料理の簡素化を目指しました。

 

 

この時代のパリは、文化と芸術が栄えて、お金に糸目を付けない大金持ちたちで街場のレストランも大いに賑わいました。

料理人は良い食材をふんだんに使って、自分の腕前を存分に発揮出来る環境にありました。

 

フランス料理に限らず、フランス全体がまさにBell epoqueベルエポック(良き時代)と呼ばれるまでになりました。

 

この時代に活躍したエスコフィエが、主に海外で仕事をしていたのに対して、フランス国内でも活躍した料理人が居ました。

 

「プロスペール・モンタニェ」と「エドワール・ニニョン」です。

 

モンタニェは数々のホテル、レストランで修業して、パリの「グラン・トテル」というホテルの料理長になりました。

その後はラルース料理大辞典など、現代にも残る料理書を記しました。

 

ニニョンの方は、パリのレストランを中心に活躍をし、自ら経営したレストランは大成功をおさめました。

彼もまた現代フレンチにも影響を及ぼす著書を残しました。

 

また自動車の普及による旅行ブームが起きる中、フランス地方料理の再認識にも繋がり、コレらの秀逸なレストランを紹介するガイドブックが登場します。

 

そう!

言わずと知れた『ミシュランガイドブック』です。。。。。。

 

 

という所で本日は終わりに致します^ - ^

 

この続きもどうぞお楽しみして下さいませ(^^)

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございました!

 

それではまたお会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Au voir (オー ヴォワール)

 

À bientôt (ア ビアント )

 

 

 

 

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